2011年5月3日火曜日

これからの日本

先日の「千葉県連盟総会合宿」に参加された皆さん、大変お疲れ様でした。

普段はなかなか会えない方達と交流することができる、貴重な機会だったのではないかと思います。

また、皆さんはGWをいかがお過ごしでしょうか?

東北地方の方達は今も日々の生活が大変でいらっしゃることと思います。

今後の復興を通して日本もまだまだ捨てたもんじゃないと証明していきましょう。

先日の「つながりの風」では「大和ハウス」の石橋信夫さんを紹介しましたが、シベリア抑留から帰国し、戦後の日本の復興発展に貢献した方で、「瀬島龍三」さんという方を今回は紹介いたします。

瀬島龍三さんは富山の農家の三男として生まれ、学業優秀で、旧制中学卒業後、陸軍幼年学校に進み、陸軍士官学校を次席で、陸軍大学校を主席でそれぞれ卒業したエリート軍人です。大東亜戦争時は大本営陸軍部の作戦参謀として、大本営が出した命令書のほとんどに関与しています。「ヒノデハヤマガタトス」と開戦の暗号文を作ったのもこの人です。終戦後、ソ連との停戦交渉に満州に赴き、そのまま11年間シベリアに抑留されます。

帰国後再三にわたる自衛隊からの勧誘を断り、当時繊維を扱う一商社にすぎなかった「伊藤忠商事」に入社し、「航空機商戦」や「賠償ビジネス」を通して、巨大総合商社に発展させます。また、中曽根内閣のブレーンとして、国鉄や電電公社の民営化にも携わります。

この方に関しては、賛否両論あり、色々な疑惑がありましたが、沈黙を守ったまま鬼籍に入りました。

しかし、瀬島さんが「伊藤忠」に入ったのは46歳の時です。そこから会社をこれだけ発展させるという気概がすごいと思います。

現代だったら、自分はもう40だから、50だからとあきらめてしまいがちなところですが、戦後の日本は、自分の年齢に関係なく、「もう一度復興させる」という気概をもった方達がたくさんいたんだと思わされます。

これからの日本の発展のためには、このような熱い志をもった方たちがたくさん出てこないといけないと思います。歴史を学び、先人に学ぶことで、自分のアイデンティティに誇りを持ち、日本という国を大事にできる人が増えていってもらいたいと思います。

GWでお時間のあるかたは「瀬島龍三」さんの生前のインタビューを見てみてください。

「歴史の生き証人」の言葉は穏やかでも重みがありますよ。

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