2011年7月12日火曜日

夏になりました。

7月はじめての更新です。

梅雨も明け、暑い日が続きます。

各クラスでは審査稽古も追い込みに入っています。

ブログの更新を楽しみにしている方達もいらっしゃるということなので久しぶりに書かせてもらいます。

たまには合気道のことでも書いてみましょうか。

皆さんは審査を受験するとき、どんな心構えでしょうか?

段や級を「取る」、それとも「頂く」どちらがしっくりきますか?

元々、合気道だけでなく日本古来の武道や芸事には審査というシステムはほとんどありませんでした。

ある程度段階が進んだ時、「目録」、「免許」、「皆伝」などと、節目として師匠から弟子に授けることが一般的でした。門弟が増えて師匠の目が全員に行きわたりずらくなった時に、段級位の授与を公平にするために導入され始めたのが審査です。今でも植芝開祖の最後の内弟子、清水健二先生の天道館道場では審査ではなく、年始の鏡開きに合わせて昇段者を発表すると聞いています。普段の稽古の姿勢をみて、師匠の中でそれとなく審査が行われていたのでしょう。

私に関して言えば、「頂く」心構えです。

「取る」という言葉からは「分捕りあい」すなわち戦争につながっていく発想があると思います。日本人は戦争に負けた後、実際の戦争でなければ良いとして、経済で戦争し、受験でも戦争し、企業戦士という言葉まで生まれました。企業戦士の中で戦死された方も多いと思います。
分捕りあいの世の中でせめて「合気道」ぐらいは「頂く」で行きたいものです。
「頂く」という言葉からは自然の恵みを頂いて生きてきた。農耕民族、日本人の精神性が感じられます。

合気道の審査の話に戻りますが、審査の時にどれだけできたかということを終わってからよく話している方がいますが、審査に向かってどんな稽古をしてきたかが、結果よりも重要であるはずです。

いつかマラソン選手の中で「当日スタート地点に立つことができたら、勝てると思います。」と言っていた方がいました。その選手が大会当日に向かってどれほど厳しい訓練をしているか伝わってくる言葉でした。

「勝てば官軍」という価値観が横行する世の中で、私は「過程」を大事にする稽古をしていきたいと思います。

勝っていても負けている人がいます。逆に負けていても勝っている人もいます。

意味のない成功を拾うぐらいなら、内容のある失敗をしたいものです。

2 件のコメント:

  1. 合気道は素晴らしいですね。なぜかわかりませんが人生変わりました。変えるための底力になりました。
    よぼよぼになっても続けたいです。

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  2. みきさん、コメントありがとうございます。

    私も合気道のおかげで人の道を踏み外すことなくこれました。

    一生をかけて修行していきます。

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