2012年2月26日日曜日

指揮官の決断

お正月映画の「聯合艦隊司令長官 山本五十六」はなかなか面白かったらしいですね。

山本五十六は対米戦争に最後まで反対した人で、開戦不可避となると国力で日本をはるかに圧倒するアメリカと如何に戦うべきかを考えます。当初、海軍軍令部の下した命令は、「漸減邀撃作戦」(米国艦隊を日本近海までおびき出し艦隊決戦によって雌雄を決する作戦)でした。これでは長期戦になり、国力に勝るアメリカの物量に日本は持ちこたえられないと考えた山本が考えたのが「真珠湾攻撃」でした。ハワイ真珠湾に在泊するアメリカ太平洋艦隊主力を撃滅し、米国海軍と米国民の戦意を喪失させ、早期講和を結ぶのが目的でした。しかし、開戦の事前通告が遅れ、これをだまし討ちととらえた米国民感情は対日戦争へと傾いていきます。皮肉にも山本の意図とは真逆になってしまいました。

やがて米軍の反撃がはじまり、日本は徐々に追い詰められていきます。戦争末期、戦力に劣る日本がとった行動が「特攻」です。爆弾を抱えて敵艦に突っ込む体当たり攻撃は、始めこそ米軍を震撼させますが、対策を講じた米軍には次第に無力化します。それでも特攻作戦は終戦まで続きます。優秀なパイロットほど、特攻作戦には反対したそうです。戦闘機のパイロットは生きて帰ってきてこそ再び戦うことができると。

この特攻作戦の命令に命がけで反抗した現場の指揮官がいました。海軍「芙蓉部隊」の美濃部正中佐でした。
階級も年齢も一番下だった美濃部中佐でしたが、上官の命令に全力で反対します。この時代、上官の命令は絶対であり、逆らうことは軍法会議で死刑になることも覚悟しなければなりませんでした。特攻を拒否した美濃部中佐率いる、「芙蓉部隊」は終戦まで通常攻撃を続けます。それでも部隊からは戦死者が100名出たそうです。しかし、生き残った部下たちからは戦後、本当に尊敬され感謝されます。時代の雰囲気に流されず真実を見極め行動することができる勇気と決断力は現代にも通じるものがあると思います。



2 件のコメント:

  1. 先生も独立されて一人の指揮官になるのだと思います。指揮官は孤独です。すべて自分で決めなければなりません。そこにやりがいもあり、また責任も生じてくるのでしょう。優秀で愛される指揮官になってください。期待してます。
                         (キッコロマン)

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    1. キッコロマンさん

      コメントありがとうございます。

      良い指揮官になれるよう努めて行きます。

      快刀乱麻にはなれなくとも、努力を怠らないように致します。

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