2012年4月14日土曜日

ロシア出張報告②

こんにちは。

ロシア出張報告②です。

「つながりの風」にはモスクワでの講習会の様子を載せたので、今回は他の話題にします。

あまり観光には行くことはできませんでしたが、レストランにはよく連れて行ってもらいました。
ウクライナ料理、アゼルバイジャン料理、グルジア料理といろいろと食べてきました。







羊の肉たちです。



炭酸入りのジュース。旧ソ連時代はこれが一番人気のジュースでした。
ちなみにニコライ先生は元コカ・コーラのセールスマンです。


日本料理のお店にも連れて行ってもらいました。日本ほどではありませんがなかなか美味しかったです。

そして最後はモスクワ川をクルージング。

優雅にくつろいでたら、空港に着いたのが出発50分前。危うく乗り遅れるところでした。
モスクワの街は渋滞がすごいです。車がこないなと思ったら渋滞です。

2012年4月5日木曜日

今月の予定

私の担当する会の今月の予定です。

三橋師範代講習会

8日(日) 剣
15日(日)体術

PM5:00~6:00

場所:袖ヶ浦市立長浦中学校 武道場

参加費 500円

2012年3月31日土曜日

ロシア出張報告① ~エカテリンバーグ~

先週、21日(水)から28日(水)までの約1週間、ロシアに出張して参りました。

最初に訪問したのは、エカテリンバーグというところで、ロシアの主要都市の1つです。
成田から10時間のモスクワからさらに乗り換えて、2時間半かかってエカテリンブルクに到着。1度アルゼンチンまで行ったらこんなの短いもんです。







龍道場にもたびたび合宿に来ている、ミハエル先生の指導する道場で、少年部2時間、1般部2時間それぞれ約30人ずつ指導しました。少年部は基本的に日本の子供たちと変わりません。一般部は白帯中心でこれからといった感じでした。なかなか熱心に教わってくれます。









合間をぬってミハエルさんの奥さんのアナスターシアさんがガイドしてくれた市内観光では、「アンテン」と呼ばれる市街を一望できるタワーに登ってきました。日本ではもう春だというのに雪が降っていて、ロシアでも1月並の天候だとか。短い時間でしたが、ロマノフ王朝にゆかりのある教会など色々と連れて行ってくれました。アナスターシアさんが英語で熱心に説明してくれましたが、半分もわかりませんでした。

エカテリンバーグで通訳を務めてくれたのはアルシーニーさん、大阪大学から留学で来ている彼女も一緒でした。





そして翌朝9時発の飛行機でモスクワへ・・・

つづく。

2012年3月23日金曜日

現在モスクワです。

こんにちは。

今モスクワにいます。

22日(木)にエカテリンバーグでミハエル先生と奥さんのアナスターシアさんと再会。

現地での指導の時は少年部、一般部ともに約30名ずつの参加者がありました。

翌朝、飛行機でモスクワに移動。

ロシアはまだ雪が降っています。

これからニコライ先生の気龍館での指導に行って参ります。

2012年3月19日月曜日

春の総合審査終了

今月初の投稿です。

17日(土)・18日(日)で春の総合審査が行われました。

今回は有段の受験者が多かったようです。
皆さんがんばっていたようで結果発表を心待ちにしていることでしょう。

そして、私は明日からロシア出張にいってまいります。
8日間でモスクワとエカテリンバーグの2都市を回って来ます。

今回の出張はビザを取るのにひと苦労でした。大使館に行ってみると、ロシアの祝日で休みだったり、ロシアから送って来た書類に不備があって、やり直しになったりと、休みの日に五井から六本木まで合計4往復させてもらいました。
ロシアの皆さん、決して亡命したいわけじゃありません。

2012年2月28日火曜日

会の名称

最近、「独立後の会の名称は何ですか?」とよく聞かれます。

名称については特別考えていません。

既に「合気道市原養神会」と「袖ケ浦市合気道連盟」があります。

この二つの組織をより充実させていくつもりです。

「合気道市原養神会」の発足は、私が龍の内弟子になってすぐのときに、私の地元、市原で演武会を開いたのがきっかけです。市原市長をはじめ多くの方達に集まっていただきました。この時に来賓としてお越しいただいた潤間丈助さん(現市原養神会会長)の発案で、今後は市原市内の団体で連携を取りながら組織的な運営を行おうということで発足いたしました。

次に「袖ヶ浦市合気道連盟」は一昨年、袖ヶ浦市内で活動している3つの団体で、さらに地域での合気道普及を図るために結成いたしました。連盟の事業として行った、木更津さくら会創立10周年の演武大会は本当に盛り上がりました。

年間行事として、鏡開き、安藤師範をお招きしての千葉県南部合同審査会、講習会などがあります。
独立してからはさらに色々なことにチャレンジしていきたいと思います。

2012年2月26日日曜日

指揮官の決断

お正月映画の「聯合艦隊司令長官 山本五十六」はなかなか面白かったらしいですね。

山本五十六は対米戦争に最後まで反対した人で、開戦不可避となると国力で日本をはるかに圧倒するアメリカと如何に戦うべきかを考えます。当初、海軍軍令部の下した命令は、「漸減邀撃作戦」(米国艦隊を日本近海までおびき出し艦隊決戦によって雌雄を決する作戦)でした。これでは長期戦になり、国力に勝るアメリカの物量に日本は持ちこたえられないと考えた山本が考えたのが「真珠湾攻撃」でした。ハワイ真珠湾に在泊するアメリカ太平洋艦隊主力を撃滅し、米国海軍と米国民の戦意を喪失させ、早期講和を結ぶのが目的でした。しかし、開戦の事前通告が遅れ、これをだまし討ちととらえた米国民感情は対日戦争へと傾いていきます。皮肉にも山本の意図とは真逆になってしまいました。

やがて米軍の反撃がはじまり、日本は徐々に追い詰められていきます。戦争末期、戦力に劣る日本がとった行動が「特攻」です。爆弾を抱えて敵艦に突っ込む体当たり攻撃は、始めこそ米軍を震撼させますが、対策を講じた米軍には次第に無力化します。それでも特攻作戦は終戦まで続きます。優秀なパイロットほど、特攻作戦には反対したそうです。戦闘機のパイロットは生きて帰ってきてこそ再び戦うことができると。

この特攻作戦の命令に命がけで反抗した現場の指揮官がいました。海軍「芙蓉部隊」の美濃部正中佐でした。
階級も年齢も一番下だった美濃部中佐でしたが、上官の命令に全力で反対します。この時代、上官の命令は絶対であり、逆らうことは軍法会議で死刑になることも覚悟しなければなりませんでした。特攻を拒否した美濃部中佐率いる、「芙蓉部隊」は終戦まで通常攻撃を続けます。それでも部隊からは戦死者が100名出たそうです。しかし、生き残った部下たちからは戦後、本当に尊敬され感謝されます。時代の雰囲気に流されず真実を見極め行動することができる勇気と決断力は現代にも通じるものがあると思います。