2011年8月16日火曜日

占守島の戦い

久しぶりの更新です。

気分が乗ってこないと更新しないので、不定期ですが、宜しくお願いいたします。

龍道場の夏休みももうすぐ終わろうとしています。

皆さんはいかがお過ごしですか?

さて、昨日は終戦記念日でしたね。

今日は8月15日の終戦の日よりも後に起こった戦い、「占守島の戦い」について触れてみたいと思います。

浅田次郎の小説「終わらざる夏」でも描かれていますが、大戦中、日本はアメリカがアリューシャン列島を超えて攻めてきたときの場合を想定して、千島列島最北端の占守島(シュムシュ島)に守備隊を配置していました。関東軍の精鋭戦車部隊も転進させられ、アメリカに対する防備を固めていました。

ご存じの通り、アメリカは一年を通して作戦を展開できる南方の地域から攻略してきました。よって北方はソ連と「日ソ中立条約」を結んでいたこともあり、終戦間際まで穏やかでした。しかしソ連は、アメリカが日本の占領を独占するのを避けるため、南樺太・千島列島及び満州国・朝鮮半島に8月9日を持って中立条約を一方的に破棄し、侵入してきました。ソ連は15日に日本がポツダム宣言を受諾したことを通告した後も、侵攻を止めませんでした。15日の正午以降、多くの戦線で、ソ連以外の連合国の積極行動は停止し、停戦状態になりました。占守島の師団司令部では、ソ連による攻撃はないものと判断し、武装解除が進んでいました。しかし17日に砲撃があり、18日にはソ連の歩兵大隊上陸し、島の奥深く侵入、日本側は自衛のための戦闘としてこれに応戦し、21日まで戦闘は続き、戦車部隊などの活躍により、浜辺までソ連軍を押し戻し、そして降伏しました。

当初、ソ連は千島列島と北海道の半分を占領することをアメリカに要求しており、占守島における奮戦により、北海道の占領は避けられたとも言われております。

北海道に駐屯する陸上自衛隊第11旅団の第11戦車大隊は陸軍戦車第11連隊の奮戦と活躍を称え、その精神を継承する意味で「士魂戦車大隊」と自称し、戦車の砲塔側面に「士魂」の二文字を描いています。






2 件のコメント:

  1. 感謝して、日本の国を大切にしたいですね。

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  2. みきさん、コメントありがとうございます。

    そうですね。

    何があっても感謝できるところに持っていくことが大切であると思います。

    過去を整理することで現在の自分がよく見え、それが未来につながっていくのだと思います。

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